✦体験的変容に関する個人的進展
トレーナーの堀尾です。
今日訪れた自分にとっての大きな進展をシェアしたいと思います。
個人的な物事ですが、トレーナーズブログだから書いてもよかろうと思いました。
どんな進展か
ずっと「体験→表現→理解→…」のフォーカシング・プロセスでやってきたので、認知への介入、いわゆるトップダウンで変容が起きるってことが、正直なところよく分かりませんでした。
ここで言うよく分からなかったというのは、自分の物事の捉え方の地図の中にうまく収まらなかったという意味合いです。
それが、ようやく、こういうことかと掴んだように思います。
認知への介入で、そういうことか!(腑に落ちる)とか、あーなんか楽になりました(身体的変化)とか、それら(体験的変容)は、起きます。日常生活でも経験しています。
「体験→表現→理解→…」のフォーカシング・プロセスは介在していなくても、それは起きます。
つまり、体験的変容に、必ずしも「体験→表現→理解→…」のフォーカシング・プロセスは不可欠ではない、ってことです。
逆に言うと、「体験→表現→理解→…」のフォーカシング・プロセスがなくても、体験的変容は起きるということです。
「体験→表現→理解→…」のフォーカシング・プロセスのない気づきは、日常的に経験しているのに、今まで自分の物事の捉え方の地図に統合できませんでした。
なぜなら、「体験→表現→理解→…」のフォーカシング・プロセスと体験的変容がセットになっていて、その前提から離れられなかったからです。
あー、やれやれ。
なんてことだ!と思い、涙が滲みます。そして、新しい地平に出た思いがしてハッピーです。
「体験的」というのは「実感される」ということでしょう。
そして、もちろん、(うまく進む限り)「体験→表現→理解→…」のフォーカシング・プロセスが体験的変容をもたらす、というのは真でしょう。
では、体験的変容が起きるための条件は何でしょうか。
少なくとも、安全感と(必要なだけの)安心感は不可欠だと思います。
身体が緊張状態では難しくなると思います。
進展その後
この進展した場所まで来てみて、(フォーカシング指向心理療法以外で)フェルトセンスやフォーカシングを取り入れているセラピーに感じていたもやもやがはっきりしてきたように思います。
それらでは、フェルトセンスの捉え方が矮小化あるいは偏りなど限定的だったり少し違う意味合いが含まれていたり、フォーカシング的態度がなかったり、「体験→表現→理解→…」のプロセスを捉えていなかったりするようです。もったいないなと思います。
(ちなみに、一般的なこととして、フォーカシングが狭く、あるいは、間違って捉えられていることは、ままあることです。私も大海を探索中)